日米通算12年のプロキャリア!
アメリカで日本人史上唯一のABAオールスター選手にもなった中川和之が
日米通算12年のプロキャリア!
アメリカで日本人史上唯一のABAオールスター選手にもなった中川和之が
プロバスケットボールプレイヤー中川和之と申します。
私は9歳で初めてバスケットボールと出逢ってから、この競技の持つ魅力の虜となり、これまでバスケットボール一筋の人生を歩んできました。
小学校の卒業文集に書き記した“プロバスケットボール選手になる”という夢を、そこから数え切れないほどの人に支えられた10年後(大学4年時)、まだ日本にプロチームすら存在しなかった時代に、本場アメリカの地で実現させることができました。
私がまだ専修大学4年時に、コーチの勧めでアメリカLAにて独立リーグABA Long Beach Jamのトライアウトを受けました。そこで、当時ジャムのHCを務めていたNBA史上唯一、得点王とアシスト王の二冠達成をしたスーパーレジェンド、ネイト "Tiny" アーチボルドに実力を認められ、トライアウト終了直後にその場で本人から直接契約書を渡されました。この夢のような出来事によって、私は日本のバスケットボール界では初となる在学中のプロ選手としてキャリアをスタートさせることになります。
しかし、プロ1年目となるこのシーズンは実力不足とプロ意識の欠如から、わずか1ヶ月で解雇されることとなります。不振続きだったチームは、HCと11名の選手も同時解雇し、プロデビューしてから間もなくプロの世界の厳しさを目の当たりにし、選手としての在り方を考えさせられることになります。
シーズン後、LAでの失敗の原因でもあったPGとしての経験不足を補うため、SG→PGへの本気のコンバートを目指し武者修行を敢行。次のシーズンへ向けアスリートビザも取得し、本格再渡米。NYのABA Harlem Strong Dogsでゼロから挑戦し直し、スタメンPGの座を勝ち取ることができました。また、シーズン中の活躍が評価され、日本人で史上唯一となるABAオールスター選手に選出されたのです。
その後も、日米で計5つのリーグ(アメリカ:ABA、USBL / 国内:bj、JBL、NBL)でプロ選手としてのキャリアを重ね、2016年9月22日を迎えることとなります。バスケットボールの試合が初めてフジTVの地上波ゴールデンで生中継されたあの日、国内史上最大規模となるプロバスケットボールリーグ「B.LEAGUE」がついに開幕しました。私は幸運なことに、この歴史的瞬間をB.LEAGUEアースフレンズ東京Zの現役選手として迎えることができたのす。
しかし、果たしてこのような環境は自然に手に入れることができたのでしょうか。当然、答えは“No”です。B.LEAGUE誕生を語る上で欠かせないのが、その直前まで国内リーグ分裂問題が原因となり、FIBA から「国際試合出場停止」という制裁を科された危機的状況にあったことです。この日本バスケットボール界史上最大のピンチを救うべく、リーグ統合への舵切り・改革を行ってくださった川淵三郎会長と関係者の多大なる尽力があったこと、また、ひたすら日本のバスケットボールの明るい未来を信じて待ち続けてくださったファンの皆様の想いが原動力となったことを私たち選手は忘れてはなりません。今、目の前に広がっている景色は決して当たり前ではないことを選手は常に肝に銘じておかなければならないのです。
私はこのような想いを胸に、開幕に先立って実施されたB.LEAGUE選手研修に参加してきました。1泊2日の研修を終えたとき、B.LEAGUEが選手に求めるプロフェッショナリズムとは「アスリート自らが“輝かせる社会”の創造に寄与できること」であると理解することができました。つまり、これまで以上にアスリートが“主体的”に地域貢献や価値の創造に取り組まなければならないということです。この研修を機に、自分の中にこれまであった「プレーだけをするのがプロの仕事」という先入観はガラリと変わり、「9歳から自分を育ててくれたバスケットボールに恩返しがしたい」という想いが強く芽生えてきました。それは、もちろん引退後に指導者となり一生をかけて行うつもりでいましたが、現役中にしかできないこともあるのではないかと考えるようになったのです。現役選手である今だからこそ、たくさんの人が自分に興味や関心を持ち、発言にも耳を傾けてくれます。ならば、少しでも影響力のある今だからこそ実現できる社会貢献をしたいと思いました。
しかし、現役選手である私が社会貢献に割ける時間には限りがあります。さらに、そもそも具体的に何をすれば良いのか?という疑問にも突き当たりました。そのような折りに、知人から「SNSを通じてもっとあなたのキャリアを伝えてみたら。きっと興味があって知りたい人はいるはずだよ。」という言葉を頂きました。しかし、私はすでにオフィシャルサイト【Kazzmatazz ballin’】の中で、更新頻度は低いものの10年以上にわたり日々感じたことなどを書き綴ってきました。そこで、「シーズン中にいきなりブログ内で昔のエピソードを書き始めるのってどうなんですか?しかもそれをFacebookなどでアップしたら自分に興味のない人にまで拡散することになってしまいますよね…」と返答したところ、「それならメルマガがいいよ!」というアドバイスを頂いたのです。
メールマガジンであれば、私に何かしらの興味や関心があって登録した方が限定の閲覧となり、気に入らなければいつでも配信解除が可能です。また、タイミングや対象への配慮も少なく済み、時間や場所も取らないので、現役選手である自分でも行動に移しやすいのではないかと思いました。メルマガでの直接的な発言を通じて、かつての自分のようにプロを志すバスケットボール少年少女はもちろんのこと、壁に直面し挫けそうになっている人、努力してもなかなか成果がでない人など、世の中の人たちに、大切なメッセージを届けたいと考えるようになっていったのです。
もしかしたらあなたは、「中川はプロ選手になっているくらいだからバスケットボール人生は初めからどうせ順調だったんだろう」と思っているかもしれませんね。
実際はミニ→中学、中学→高校、高校→大学、大学→プロの全カテゴリー移行期において、全て補欠からのスタートでした。特に大学→プロ(ABAロングビーチジャム)の移行期においては先ほどお伝えした通り、「実力不足」と「プロ意識の欠如」の2点が大きな理由で、試合時間も大して与えられぬまま、2ヶ月もせずにチームから解雇されてしまいました。私のプロキャリアは挫折と共にスタートしたのです。
しかし、これまでのバスケットボール人生において、困難に直面した際に必ず行ってきたことが1つだけあります。それは“自分を信じる”ことです。信じるに足る自分になるために・・・ここまでやればというレベルまで自分を追い込み、納得いくまで体育館に残って練習を続けました。下手であれば上手くなるまで努力を積み重ねる。これまで以上に意識を改革する。それ以外に近道はありませんでした。その結果、運も味方につけることができ、「最終的には目的地に到達する」という経験をすることができたのです。
私の成功体験の1つに、プロ1年目シーズンの挫折からの復活が挙げられます。LAのロングビーチジャムでは全く通用せずに解雇されましたが、その翌日から「どうすればあの場所で自分が活躍できるのか」だけを考えて行動し、その結果、プロ2年目のシーズンではNYのHarlem Strong Dogsから唯一のABAオールスター選手に選出(日本人史上唯一)されたのです。この経験から困難に打ち克つには、まず“自分を信じ”てあげることが大切だと強く思うようになりました。
今、競技歴25年目の原点回帰をしてみて、私のフィジカル的なタレント性はお世辞にも優れているとは言えません。そんな私でも、プロとして12年シーズンを過ごすことができ、今でも現役選手として試合に出続けられています。その理由を、私のメルマガを通じて、これまでのキャリアでのエピソードを振り返りながら、皆様にお伝えしていきたいと思います。25年のバスケットボール人生で、自分の眼で見てきたモノをありのままにお伝えさせていただきます。
初回から7回目までは、9歳でバスケットを始めた私が22歳でプロになるまでの道のり【プロになるための7STEP】を
まずは配信させて頂き、その後も楽しく役に立つコンテンツをあなたにお送りさせて頂きます。
このメルマガをお読みいただくことで、少しでも皆様に勇気や希望を与えられ、バスケットを通じた社会貢献が出来ればと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。
私の経験を以下メルマガのなかで公開しています。
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私のことを初めて知った、というあなたともこれを機会に知っていただけたらと思います^^
それでは長くなりましたが、ここまでお読み頂きありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
中川和之