彼の名前は『小西博明』。
ぼくが(失礼ながら)、仏様だと思い込んでいる男。
商売のためでなく、”人に、選手に、喜んでもらうためのものづくり”。
会社を設立した当時の小西社長のモットーは、今も一貫して変わらない。
もちろんバスケットが好きで、好きで、ずっとその道を歩んできた人だ。
9月2日(水)。
ぼくの契約するIN THE PAINTの商品を製造する、
『株式会社ヤング商事創業40周年記念式典』が神戸で盛大に挙行された。
壇上にて、圧巻の迫力でときに顔を涙でクシャクシャにしながら感謝の言葉を述べる小西社長。
その表情、その言葉、ひとつひとつに胸を打たれた…。
何万回同じ練習をしてもあんな風には話せない。
社長のスピーチは魂で話すからこそ会場にいた200人以上のすべての人々の心を打った。
魂はただ追いかけたところで決して手に入れることなどできない。
数々の困難、挫折、無駄とすら思えるたくさんの遠回りのプロセスを経て、
そこで全力で<生き抜いて>こそ手に入れることができるもの。
復旧を諦めてもおかしくないほどの大被害を受けた95年の阪神・淡路大震災からの復活。
昨年の岡山工場開設・稼動からわずか一週間後の火災による全焼・焼失……
工場の中身が全焼するほどの大火事であったにも関わらず、
奇跡的にたった一つだけ無傷で残った会社の看板と人とのつながりだけを頼りに再稼動へ。
……さまざまな紆余曲折を経てたどり着いた40年。
社長は苦しむ人の前を素通りすることができない。
それは欲のためでもなく、得のためでもない。
彼の魂がそれを絶対に許さないから。
当時、アメリカ挑戦中、未所属でもあり選手として何の価値もないぼくを、
ただ一言「頑張ってこいや!」とIN THE PAINT初の契約選手としてアメリカへ送り出してくれた。
海外での大災害、東日本大震災発生時、すぐさま社内会議を開き、
涙を流しながら大量の支援物資を被災地へ送り届けようと社内で意思統一、手配するような人。
40年という長い年月の中で、
物は姿を消すことがあっても、それにまつわる”もの”は決して忘れられない。
物だけではなく、そのまわりの”もの”も。
そしてその”もの”がまた見せてくれる”もの”。
熱き”もの”づくりの魂を持った小西社長。
そんな社長の人柄に惚れ込んだ最高な社員ばかりのいるヤング商事。
ぼくはその一員であること、そして、
そんな皆さんの手によって作られたIN THE PAINTの商品を身につけプレーできることを誇りに思います。
社長、本当にいままでありがとうございます。
創業40周年、心からお祝い申しあげます。