気づけば毎日ネットで茨城県内の桜開花情報を調べている。
とうとう今年も自分の中の日本人的な「なにか」を感じる季節がやってきたようだ。
心地よい目の痒さとともに。
しかし、ヒトはどうしてこうも桜に惹かれるのか。
答えは、桜に限らず花がどのようにして息吹くのか、その本来の姿にあるように思う。
ただ自分の与えられた環境にその身を委ねられる潔さ。
太陽の光からエネルギーを得、雨にその身を打たれることにより水分を得る。
地面からの栄養を吸い上げ、運が良ければ落ち葉や動物の糞尿からも滋養分を得る。
台風で折られ倒され吹き飛ばされ、
その後に踏みつけられ瀕死の重傷を負うこともあれば、
冬の寒さになす術もなくただ命尽きることもある。
そんな中でひと時を過ごし、厳しい冬の後に開いた花や葉。
様々な影響を受け、また与えながら開いた花や葉の色香、色彩豊かな広がり。
それこそが本来の姿であり、個性と言えるのかもしれない。
そして、その美しさと儚さにヒトは心を揺さぶられるのだろう。
たとえ不運に見舞われ途中で命が尽きようとも、それもまたひとつの個性である。
そんな風にただそこに存在し、その地の人々に春を運び、愛され、必要とされ、
一見すればただ周りの流れに身を任せているだけのような生き方もあるのではないか。
最近のバスケ界のニュースを耳にしながらそんな事を思った。
当然、人それぞれにいろんな事情があるんだろう。そんなことは理解しているが。
昔から好きな言葉は「感謝」と「夢」。
特に夢は追うのも見るのも大好きだ。
だから、誰に文句を言われようが人生の3分の1は寝ることにもした。
『人生は限られている!1日の睡眠時間を●●だけ削って有効に生きよう!!』
なんていう人の真似事などしたいとも思わない。
「ぼくにとって夢を見ることは起きている時間に何かをするのに匹敵するくらい大事である」
なんてホームメイドの脆弱な論理を盾に自己正当化をしながら大いびきをかいて眠りたい。
限られた持ち時間をどう使うかは自分の勝手。
ただ、どんな環境であっても諦めずに夢だけは追い続けるぞ。
近所の桜のつぼみを見つめていたら自然とそんな感情が湧きあがってきた。
ちなみに。
桜の花は散り際が一番美しいと思うのはぼくだけだろうか。