皆さんお久しぶりです。
そして、まず、すみません!
皆さんにすぐにでも報告しなければいけないことがいくつかあったのですが、
この1週間はあまりに激動の日々でして、ここに現れることができませんでした。
何よりも涙が幾度も僕の視界を遮りパソコンの画面を泳がせてしまうので
これじゃあどうしようもないと音を上げてしまいました。。。
本当に僕は弱い生き物、情けない男だなあと痛感するこの頃でした↓
そして、その後、高松ファイブアローズから指名を頂き
2月からチームに入団することになったということです。
試合中に足がつってしまうというアクシデントもあり
自分的にはまだ納得できないものの
チームは2連勝することができたので
とりあえず今はほっとしています。
マジで感動しました。
これからも応援宜しくお願いします。
先週の水曜日に母ちゃんが癌のため亡くなりました。
「母ちゃんが亡くなった…。」
高松に来て3日目のこの日に実家から突然の連絡を受けました。
49歳という若さのせいもあり癌もなかなかしぶとくて
昨年の中頃から再び入退院を繰り返す日々を過ごしていました。
けれど、優しくて繊細でどこか温かい、
そして、とっても可愛らしい女でした。
病院についてから亡くなる3分前まで
「私は死なんよ!早く治してよ!!」
と医者に文句を言い続けたそうです。
それまでなんとか塞ぎ止めていたダムは完全に決壊し、
とにかく訳も分からず電話もとで声を出して大泣きしてしまいました。
最後は親父が駆けつけ母ちゃんを抱きしめたところで
ようやく安心したのか静かに天国へと旅立っていきました。
「俺の身体の中に入ってきたみたいやった…。」
親父はこう言っていました。
自分だけ後ろ向きな行動はできない。
真剣に臭いことを誓いました。
母ちゃんの最後の言葉になりました。
最後まで無理しやがってから(泣)
今まで育ててくれて本当にありがとう。
そして、まず、すみません!
皆さんにすぐにでも報告しなければいけないことがいくつかあったのですが、
この1週間はあまりに激動の日々でして、ここに現れることができませんでした。
一度はトライしてみたのですが、やはり予想どおり、
自分の気持ちを落ち着いて活字に置き換えることが困難だったということと何よりも涙が幾度も僕の視界を遮りパソコンの画面を泳がせてしまうので
これじゃあどうしようもないと音を上げてしまいました。。。
本当に僕は弱い生き物、情けない男だなあと痛感するこの頃でした↓
さて、まず報告しなければいけないことは
先月行われたbjリーグの二次トライアウトに合格したこと。そして、その後、高松ファイブアローズから指名を頂き
2月からチームに入団することになったということです。
すでに週末の2試合に出場しましたが、
睡眠不足とぼろ泣きによる脱水症状のせいか試合中に足がつってしまうというアクシデントもあり
自分的にはまだ納得できないものの
チームは2連勝することができたので
とりあえず今はほっとしています。
それにしても高松の皆さん、
2日間にわたっての大声援ありがとう!マジで感動しました。
これからも応援宜しくお願いします。
そして、もう1つ。
これは悲しい報せになるのですが、先週の水曜日に母ちゃんが癌のため亡くなりました。
「母ちゃんが亡くなった…。」
高松に来て3日目のこの日に実家から突然の連絡を受けました。
2年前に癌が発見された日から、
母ちゃんと癌との闘いの日々が始まりました。気持ちの強い母ちゃんは
一度は職場復帰するまで盛り返したのですが、49歳という若さのせいもあり癌もなかなかしぶとくて
昨年の中頃から再び入退院を繰り返す日々を過ごしていました。
母ちゃんは言いたいことをはっきり言う
裏表のない常に直球勝負な人でした。けれど、優しくて繊細でどこか温かい、
そして、とっても可愛らしい女でした。
これまでも数々の武勇伝を残してきた母ちゃんですが
最後にもやってくれた。亡くなる日の早朝、体調が急変した母ちゃんは
救急車で病院へ運ばれたのですが、病院についてから亡くなる3分前まで
「私は死なんよ!早く治してよ!!」
と医者に文句を言い続けたそうです。
この話を聞いた途端、
悲しさ淋しさに嬉しさと誇らしさの感情の波も一気に襲ってきて、それまでなんとか塞ぎ止めていたダムは完全に決壊し、
とにかく訳も分からず電話もとで声を出して大泣きしてしまいました。
病院では、最後まで直之がこれまでの良かったことや
感謝の気持ちを話したそうです。母ちゃんは意識が朦朧としてきてからも音にならない声を出したり
うなずいたり目で合図したりして答えていたそうです。最後は親父が駆けつけ母ちゃんを抱きしめたところで
ようやく安心したのか静かに天国へと旅立っていきました。
「俺の身体の中に入ってきたみたいやった…。」
親父はこう言っていました。
僕も報せを聞いてすぐに家に帰ろうと思ったのですが、
最後まで前向きだった母ちゃんの話を聞いて自分だけ後ろ向きな行動はできない。
それに母ちゃんは僕がまた試合をするのを本当に楽しみにしていたので
絶対試合に出よう、母ちゃんのためにプレーしようと真剣に臭いことを誓いました。
葬式の日がデビュー戦の日だったので、火葬が終わったと同時に
母ちゃんの骨の一片を口に含んでぶっ飛ばして試合会場へと向かいました。「和、やって来いよぅ。」
僕が高松に出発するときに言ったこの言葉が、母ちゃんの最後の言葉になりました。
そのとき握られた手の力は驚愕するほどの強さで
僕の右手はその感触を今でもはっきりと覚えています。最後まで無理しやがってから(泣)
母ちゃんもう何も心配すんなよ。
俺は絶対やっちゃるけぇの!今まで育ててくれて本当にありがとう。
あんたの息子で本当に良かったよ!!