「すまん、負けたわ……。」

昨日は母ちゃんが49年の生涯に幕を引いた日、命日だった。

ホテルの部屋で独り亡くなった時間に早起きをして黙祷を捧げながら約束していた。
「今日は勝つけぇの。」

母ちゃんが亡くなってから早いもので3年が経ったことになる。

自分がプロとしてプレーをする姿は一度も見ないまま天国に逝ってしまったけれど、
今、母ちゃんが生きていたとしたら僕のことをどんな風に思っているのだろうか。

命日の数日前に母ちゃんの夢をみた。そのときの内容は忘れてしまったのだけれど、

笑っていたような気がするから、とりあえず「よし」としておくか…。

生前、バスケで食おうとする僕に親父と爺やんが「普通に働け」と説き正そうとする中で、

「ええわぁね、和の好きなようにやらせちゃれば!」と、いつも反論してくれた母ちゃん。
単純に僕を想ってくれていたのか、長年の経験からコイツは言っても聞かんと思ったのか。
どちらにせよ僕の良き理解者だった。

母ちゃんの死後、実家に帰る度に落ち込んだ親父を元気づけようと一緒に唄いに行く。

ただどうしても、酒・カラオケ・『千の風になって/秋川雅史』の三拍子が揃ってしまうと、
いまだに親父は曲の途中で必ず涙をボロボロ流し始めて歌どころじゃなくなってしまう。

家族のためだけに生きた母ちゃん。

どれだけ感謝しても足りないほどの愛情を注いでもらったおかげで、
中川家の男衆はどこでも素直にだらしない姿を見せてしまうような人間になってしまった。

僕も今日初めてパソコンに眠ったままだった当時の母ちゃんとのメールを読み返してみた。

不思議なことにそこには僕宛に書いた言葉が並んでいる。やっぱり涙がでてしまった…。

特に心に響いた2006年の10月30日に送られていた短いメールをそのまま貼り付けます。

『バスケのみちで頑張ってもらいたいよ☆』

母ちゃん本当にありがとう。

親孝行がなんにもできんやったことがいまだに心残りで、後悔の念ばっかで苦しいけど、
その分これからもバスケのみちで頑張っていくよ!