まるで仰向けにひっくり返った亀のような目覚めを迎えた。
顔を洗うために向かった洗面所の鏡で自分の姿をチラリと覗くと、
「亀仙人のじっちゃん(ドラゴンボールZ)」の存在が頭をかすめてきた。

蛇口をひねったら、朝一からゆっくりとスクワット。

顔を洗える高さで左手をバスタブに置き、身体を支えつつ右手でつかんだ水で顔を洗う。
「顔って毎朝洗う必要があるのか…」

やっつけで歯磨きも終え、再び洗面所を出て右折。

しかしものの3メートルの移動のうちに痛みに堪えかねてベッドにしがみついてしまった。
「どうしようか…」と迷っているところに天使の微笑み。
次の瞬間には、前夜にインターネットで調べた痛みに効くヨガのポーズをとっていた。

「これならいけるぞ」おそらく気のせいなのだが少し楽になった身体をひきずりながら、

トボトボとではあるけれど服を着替え、最大の難関だった靴下も何とか履くことができた。
ここまでの行動時間約30分。

その後、亀仙人は勝手知ったる部屋の中をゆっくりと、そして一切無駄なく動き、

必要なモノを手に取りIN THE PAINTのバッグへと放り込む。
練習着関係だからそれが入っているバッグそのものはそう重いものではない。

前日に使い過ぎたおかげで数グラムだけ軽くなった財布と携帯電話、

1.5キロくらいするAND1のNEWシューズを片手に玄関を開け駐車場へと向かう。
そこにはこの夏一番の暑さが。日頃はなんとも思わない物の重いこと、重いこと。

まるで「子泣き爺(ゲゲゲの鬼太郎)」を背負って歩いているみたいだ。

ただでさえ曲がった背中を重い荷物でより一層曲げながら短い歩幅で進んでいると、
古い掛け軸かなにかの中に描かれた、山道を歩く修行僧の姿が浮かんできた。

もちろん僕の歩行なんてそんな尊ばれるようなものではないのだけれど、

苦行であることには変わりない。昔の坊さんと同じように我が身に鞭を入れながら、
キレイに整備された険しい道をたどって行く。

そんなことをしていたら『人生とは重い荷物を背負って険しい道を歩くようなものだ』

という名古屋で最も有名な戦国武将の徳川家康さんの言葉を思い出してしまって、
何だか所縁を感じてしまった。

しかしこんな程度で遺訓とも言われる名言を当てはめてしまう自分がなんとも情けなく、

なんだか家康さんに説教されそうな気もして次からの一歩が一段と辛くなってしまった。

やっとのことで車の前にたどり着いた修行僧はドアを開け慎重に身体を車内へとおろし、

最後に鍵を回して残っているか細い力でエンジンをつけることに成功。
そこには自然界の法則をぶち壊すほど強烈に効いたクーラーが待ち受けていた。

その後は、コンビニ→練習へ。

苦労して手に入れたモノのなんと貴重でありがたいことだろう。
苦行の後、のどの粘膜にしみこんで行くジュースの味はまた格別だった。

ほんとうに「当たり前」というものは失ってみないと気付けない。

やれやれ、いつも言い聞かせてはいるのだけれど…。
欲張りをするのではなくもっと感謝をせねば。
こんなことを人間の業(ごう)とでも言うのかな。

一本目を一気で飲み終え、しみじみと考え込んでしまった。


これはあくまで10日前の話です。

いまはほぼ良くなったので明日の練習試合からまた頑張ります!
感謝の気持ちを携えながら。