いくつになっても乙女心は忘れていなかった。
まるで「ひな祭りまでは頑張ろう」と決めていたかのように、
その翌日の3月4日に婆やん(祖母)が天国へと逝った。
 
先週下関に帰って婆やんのいる病院へお見舞いに行ったときは。
「ありがとう。」「一生懸命…」
とまだまだ力強く手を握り締めてきたのに。
 
「婆やんのことが大好きやけぇの!」と伝えると、
涙を流しながらさらにその手に力を加え、答えてきた。
 
その手のサイズときたら…。
婆やんの小さい身体にはあまりにもアンバランスな大きさ。
完全に働き者の百姓の手だった。
 
真夏も真冬も、雨の日も風の日も。
爺やんのケツを引っ叩いては田んぼと畑に出て農作業に精を出していた。
 
拡大家族で両親が共働きの家庭で生まれ育ったぼくら兄弟は完全なる爺やん婆やん子。
『自分に厳しく、孫には優しく』
がモットーかのようにぼくらには激甘に優しい婆やんだった。
 
人様によく気を遣う、せっかちな婆やんらしく、
最期はほとんど誰にも迷惑をかけずに、静かにスパッと逝ってしまった。
今頃天国で、ご近所さんに忙しなく挨拶回りなどを終えた後に、
実の娘である母ちゃんと一緒に笑っていることだろう。
 
棺に大量に入れて渡した大好物の和菓子を頬張りながら。
 
婆やんの孫として。
婆やんのDNAを受け継いだことに誇りをもって。
これからも真面目に努力し大笑いをかますことを忘れずに生きていこうと思います。

婆やん、ほんとにほんとに今までありがとう。

さよなら。
 
 

 

最近考えるともなく考えていることは、死についてです。
きっかけとなった理由のひとつには、今回の祖母の死。
もうひとつは、もうすぐ1年を迎える3.11。
 
祖母の死に関しては冷静で、とても安らかに受け入れることができました。
ただ、3.11の地震と大津波、その後の未曾有の原発事故は。
何の罪もない人々を飲み込んだ。
 
その現実を受け止めることは誰にとっても極めて苛酷なことだけれど、
そのことが3.11で亡くなられた人々に対して、生き残った者たちができる唯一の「弔い」なのかなと思った。
 
そして、今週末はその3.11に被災地である宮城で試合。
本当に自分にとって特別な試合になりそうです。
 
ぼくたちは人の死から何かを感じ、学び、決して忘れず、
とにかく前を向いて生きていくだけですね。