『失敗は成功のもと』
『禍を転じて福と為す』
経験が人をつくると思う。
言い換えれば、痛い目に遭わなければわからない。気がつけない。
口が酸っぱくなるくらい似たようなことをここで言い続けている。
決してただ言い訳じみたことをのたまっているわけではない。
けれど…たとえ「バカ野郎!」と声高に避難されたとしても……
ぼくの場合は『七転び八起き』でいくしかないだけのこと。
ただ多くの人もまた痛い目に遭ってみてはじめて、自分を考え直す機会に直面する。
失敗して、はじめて本当の自分の姿に目を向けることとなる。
痛い目にも遭わずに気がつくなんてことはほとんどないのではないか、と思う。
”No pains,no gains ”
なにも個人に限ったことでもない。
社会や国家そして世界的な規模においても、同じことが言える。
戦争も原爆も環境問題も。
解決策が講じられるのは全て物事が起こったあと、問題が発生したあと。
やっぱり、生きていくには痛い目に遭わなければならないように世の中はできているものだと考える。
そう考えると人類はたいがいがバカ野郎と言えないこともない。
…なんでまたこんなことを書いているのかって?
なんだかそんな気分にさせられるようなことが身の回りでよく起こっただけのこと。
誤解してほしくないのは…
痛い目に遭うことを何度も繰り返すのは、愚の骨頂。
経験は、そこからなにかを学ばせるためにあるわけだから。
そこから学ぶ。学ばない限りは、同じ失敗と同じ苦しみを繰り返しながら生きるしかない。
問題は何度痛い目に遭えば分かるのか。
ぼくの場合、多い方であることは間違いない、というだけ…。
事故をしなければ保険の使い方なんてわからなかった。
負けるから考え、勝とうと頑張る!
失敗をして後悔をして反省をして、もっと大切にしようとか、優しくしようとか気づくわけだ!!
人生には無駄なんてなく全てが成長への幸せへのプロセスなんだよ。
おかげで自分でコーヒーも淹れられるようになったわけだから。
”No wife,no life ”
幸福になるために、そうあり続けるためには泥水を飲む覚悟がいる時だってあるのかもしれない。
灼熱の砂漠であれば泥水でさえ喜んで飲むのだろうけど。
なんだかそんなことを言っていたらコーヒーが泥水に見えてきた…。
もっと幸福であることに感謝しよう。